お知らせ

鞘(さや)に収まった「くり小刀」~殺人の実行行為

「被告人を懲役5年に処する。押収してある『くり小刀』1本を没収する。」
 裁判長の声が法廷に響き渡ります。被告席の飛嶋は黙って聞いていましたが、服役の覚悟を決めていました。この殺人未遂事件、実は飛嶋が相手の腹に突き立てた『くり小刀』は、偶然にも刃が鞘(さや)に収まったままだったという、何とも驚きの事件だったのですが、そこはさておき、飛嶋の元内妻だったアキ子に顛末(てんまつ)を語ってもらいましょう。

 「裕福な夫との間に子どもができて、平和な生活を送っていたのですが、夫とは別れました。理由は・・・、勘弁してもらえますか。昔のことなので。もう縁が切れたと思っていたのですが、その後、元夫が死んでしまい、さらにその遺産を相続した子どもまで死んでしまい、結局、私ひとりが元夫の多額の遺産を相続したのです。当時で2億数千万円の財産でした。
 そこに都合よく現れたのが飛嶋でした。私も寂しかったものですから、つい、いい仲になってしまって。ところが飛嶋は私の財産を当てにして、フィリピンにサトウキビ畑を購入して大儲けするなんて、夢みたいなことを言って。高級車も乗り回して、私の財産の半分近くを使ってしまったんです。私が文句を言うと暴力も始まって、もう付き合いきれないと思って別れたんです。
 私自身は、遺産で居酒屋『Akiko』を開業して細々と食いつないでいましたが、あるとき駅前に和食レストランを開業しないかって話をもらいました。『Akiko』の常連さんの加山さんに話をすると、強く反対されました。絶対採算が合わないって。でも、私、うまくいきそうな気がして、加山さんに頼み込んで店長になってもらい、開業したんです。案の定、大失敗。半年足らずで廃業に追い込まれました。
 前夫の遺産をほとんど使い果たしたころ、再び飛嶋が現れました。相変わらず無一文で私に頼りたかったのでしょう。私は『もう遺産はみんな使い果たしちまったよ。』と言ってやったのです。すると、飛嶋は加山さんが私をそそのかして和食レストランを開店させ、さらに資金の一部を着服したと思い込んだのです。もちろん、私は『違う』って言いましたよ。でも飛嶋は思い込むと修正できないタイプなんです。
 ある夜、飛嶋は『Akiko』に乗り込んできました。加山さんがいることを知っていたみたいです。長さが20cmくらいある『くり小刀』を取り出すや、いったん小脇に挟み、次の瞬間、加山さんのお腹に突き立てたのです。私は怖くて声も出ませんでした。でも、よく見ると『くり小刀』の鞘(さや)はそのままでした。それを知った周囲の男たちが飛びかかって、飛嶋を取り押さえました。でも、あの男は加山さんを本気で殺そうと考えていたと思います。」

 裁判での大きな争点は、もちろん鞘に収まったままの『くり小刀』。客観的には死の危険はありませんでしたが、飛嶋は鞘を小脇に挟んで外そうとしていたわけで、うまく外れていれば命の危険があったでしょう。裁判所は殺人の実行行為ありと認定しましたが、皆さんはどう考えますか。
 アキ子に目を向けると、2億数千万円が転がり込んでから波瀾万丈の半生でした。その後のことはわかりませんが、きっと最後に残った居酒屋を細々と続けていることでしょう(静岡地方裁判所平成19年8月6日判決。氏名も含め一部脚色してあります)。
掲載日 2020.03.13