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これは「建物」か否か

建物とは何か・・・。いえ、禅問答を始めようというわけではありません。実際、都会に住んでいると、今さら「これは建物か否か」なんて考えもしません。でも、その「建物か否か」が裁判の一大テーマになることもあるんです。

康志さんは神戸市内で薬局を経営していますが、その隣に、品良く言えば慎ましやかな、言葉を選ばなければボロボロの、要は掘っ立て小屋みたいなものがあります。幅3.2m、奥行き1.3mという狭いもの。土地も小屋も康志さんの所有で、薬局が老朽化したことや、周囲の開発も進んできたため、康志さんはこの際小屋を取り壊して、敷地全体に大きな薬局をつくりたいと考えています。
ところが話はそう簡単ではありません。小屋は、先代の寅二さんの時代から、高齢の熊吉さんが長年にわたり借り受けて、細々と靴磨きをしているのです。康志さんは熊吉さんに退去を求めましたが、熊吉さんは応じません。熊吉さんは靴磨きの収入と、子どもたちからの仕送りで生計を立てているのです。

 ここからは、康志さんの話。
「親父が死んでから10年近くになりますし、詳しい経緯はわかりません。ただ、50年くらい前に親父が熊吉さんに小屋を貸したときは、大きな木箱をひっくり返して置いたようなものでした。私も幼かったですが、覚えてますよ。一時、向かいの空き地に移動して使っていたこともありました。最初の頃は、熊吉さんの奥さんが小屋の中で雑貨を売っていたようです。
そのうち娘さんが立ち飲み屋を始めました。すると、ガラの悪い酔っ払いが小屋を蹴飛ばすと、小屋が動いちゃうんですよ。地面にくっついているわけじゃありませんでしたから。で、「それじゃあ、小屋が壊れちまう」って、熊吉さんが勝手に柱を取り替えて、床を作って、土台にコンクリートを流し込んで。要するに、動かないようにしたんです。親父は了解していなかったと思いますよ。
今では地面にくっついていることは確かですが、壁は四方のうち2面にしかありません。残る2面は雨戸を立てかけて、営業するときには外すんです。もちろん、熊吉さんは小屋には住んでいません。自宅は別にあるんですよ。
弁護士さんに相談したところ、この小屋が建物だとすると、熊吉さんに出て行ってもらうのは結構大変だっていうんですよ。でも、こんな粗末な小屋なんて、建物とはいえないですよね。」

最初の問題に戻って「建物とは何か」。実は法律には定義がありません。ただ、実務上、建物と言えるには、①屋根と壁があって、②地面とくっついていて、③何らかの目的に使える状態であること、の3要件が必要とされています。この小屋は②と③は満たすように思われますが、壁が2面しかないことをどう考えるかですね。
裁判所は、小屋は最初は建物とは言えなかったが、今となっては建物になったと判示しました。熊吉さんが「勝手に」工事をしたという点については、先代の寅二さんはその後も普通に毎月賃料をもらっていたのだから、黙認していたと解釈しました。一方、康志さんが小屋を取り壊して薬局を拡張する必要性も認め、熊吉さんに対し、300万円の立退料と引き換えに出て行くよう命じました。

今回は建物を取り上げましたが、「○○とは何か」というのは、法律の世界では常に議論の的になります。しかも、社会の方がどんどん変化しますから、いつまでも悩みは尽きません。もし、もしですよ、将来日本で、モンゴルの伝統的な移動式住居ゲオ(パオ)が流行りだしたら・・・。ああ、眠れなくなってきました・・・(神戸地方裁判所平成5年9月22日判決。多少脚色してあります)。