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「身の回りの世話をしてほしい」~相続争いの行く末

鉄二は現在60歳代なかば。中学生の頃、てんかん発作を起こしました。両親は心配していろいろな病院に連れて行きましたが、結局治ることはありませんでした。中学を卒業した後、職を転々とし、50歳を目前に失業してしまいます。その後は両親が鉄二と同居し、物心ともに支えました。
ところが、両親も高齢となり、まず父親が、数年後に母親が旅立ち、鉄二ひとりになってしまいました。実は、鉄二には3人のきょうだいがいます。父は生前、きょうだいたちに、自分が亡き後、障害を抱えた鉄二を支えてあげてほしいと求めていました。
両親が亡くなり、鉄二が最も困ったのは身の回りの世話でした。経済的には生活保護を受け、さらに最近年金も受給し始めましたので、何とか回っていました。でも、今でも鉄二は2か月に1度くらい、夜中にてんかん発作に襲われ、意識喪失状態になることがありました。時にケガをしたこともあったようです。
鉄二はきょうだいに対し、「お金はいらないから、時々来訪して身辺の世話をしてほしい」と求めましたが、きょうだいたちは応じません。困った鉄二は、家庭裁判所に頼ることにしました。
民法は、きょうだいは互いに扶養する義務があると定めています。「扶養」とは、普通は経済的に支えることを言いますが、鉄二は「扶養」義務には身辺の世話をすることも含むから、きょうだいたちは自分を世話する義務を負うのだと主張したのです。
以上は鉄二から見たストーリー。でも、きょうだいたちから見たストーリーはかなり違ったようです。
姉の佐知に聞いてみましょう。
「鉄二の身辺の世話をするなんて、まっぴら。鉄二は両親の死後、遺産は全部自分のものだと主張して、私たちにさんざん嫌がらせをした上で、裁判まで起こしたんですよ。裁判ではウソばかり言い立てて、解決まで何年もかかったんです。悔しかったんですが、最後は裁判所から『皆さんの言い分もわかりますが、鉄二さんは働き口もないからのだから譲ってあげて』と諭され、泣く泣く譲りました。相続が解決した後も、隣に住んでいる弟の孝夫なんか、鉄二から『音がうるさい』と怒鳴り込まれて、トラブル続き。世話なんて買って出たら、また嫌みたらしく文句をつけられるのがオチですよ。」
この難しいケースを担当した家庭裁判所は、3年を超える審理の後、鉄二が扶養の必要な状態にあることを認めた上で、きょうだいが負う「扶養」義務には身辺の世話という要素も含まれると判断します。しかし、そういった世話する義務は所詮強制することができず、きょうだいの自発的な関わりに期待するほかなく、それが期待できない本件では、きょうだいに鉄二の身辺の世話を命じることは相当でないとして、申立てを却下しました。
鉄二が遺産にこだわったのは、両親亡き後の生活への不安だったのではと想像します。鉄二を責めることはできませんが、遺産と引き換えに失ったものは小さくなかったようです(大阪家庭裁判所昭和59年3月31日審判。多少脚色してあります)。