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まぼろしのカナリア諸島自動車工場~契約の成否

モロッコ南端の沖に浮かぶ群島、カナリア諸島。温暖な気候と豊かな自然を求めて、ヨーロッパを中心に年間1000万人を超える観光客が訪れる、欧州屈指のリゾート地です。
1978年秋、日産自動車アフリカ部長だったA氏は、このカナリア諸島に進出できないかと考え、スペインの首都マドリードでスペイン人のB氏と接触します。B氏は自動車業界に詳しいわけではありませんでしたが、本業の軍事電気関係の仕事に加え、スペインの法令や経済、貿易を調査するコンサルティングも手がけていました。
当時日産は、日産本体が直接現地に工場を建てるのではなく、現地事業者に技術や材料を提供する技術提携方式によって、海外展開を図っていました。A氏は、B氏がカナリア諸島で自動車工場を設立することに関心がありそうだと考え、接触したのですが、実はB氏は日産がカナリア諸島に直接工場を建設するとよいと思っていたようでした。
翌1979年1月、日産はB氏に一通のテレックスを送信したのですが、この趣旨が後日問題になります。テレックスは、簡単に言えば、カナリア諸島に自動車工場を建設する場合に必要なさまざまな情報、つまり、工場予定地の環境や諸制限、原材料の価格、部品を輸入するときの関税、人件費や最低賃金など雇用条件、市場調査など、広範な事項の回答を求めるものでした。
B氏はこれに応えるかたちで、261頁に及ぶ報告書、『日産レポート』を提出しました。ところが、日産はカナリア諸島進出を断念。B氏は日産に対し、調査費用として18万米ドル、当時の為替レートで約2340万円の報酬を請求。日産は支払を拒絶し、訴訟になったのです。
最大の争点は、テレックスによる回答要請の意味でした。日産側は、「カナリア諸島に工場を建てたいのはB氏でしょう。当社はB氏と技術提携できるかどうかを判断するためにB氏に情報を求めただけ。提携したいなら自分の責任と費用で情報を出してくるべきで、当社が調査料を支払う理由はない」という立場。
これに対し、B氏は、「日産が自ら工場を建設するために調査を必要としていたのだから、それを請け負ったのだ。結果的に進出を断念したからといって調査料を支払わないのは不当だ」という立場でした。
裁判所は、①そもそもB氏は自動車産業に詳しくなく、日産がB氏に重要な調査を依頼することは考えにくいこと、②報酬や納期の話が一切出ていなかったこと、③依頼方法も契約書ではなくテレックス一本であったことなどを理由に、調査料の請求を棄却しました。
結論は妥当と思われますが、ビジネスのやり方としては、顕著なコミュニケーション不足だったと言えるでしょう。もちろん、報酬について何も触れていなかったB氏に大きな問題がありますが、日産側もコンサルティング業も手がけるB氏に対し調査を要する事項の回答を求める以上、コンサルティングを依頼する趣旨ではないことを伝えておくべきだったでしょう。
こうしてカナリア諸島の自動車工場建設計画は夢物語に終わりました。一方、日産はスペイン本国のモトール・イベリカ社に資本参加して(後に子会社化)、欧州進出の橋頭堡とし、後にルノーとの提携関係を樹立することになります(横浜地方裁判所昭和62年12月18日判決)。