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お父さんの足の爪

 物心ついた頃から、明美は舞踏家だった母親とふたり暮らしでした。父親は篠田という男だと聞いていましたが、一度も会ったことはありませんでした。どうして会いに来ないのかなと不思議に思ってはいましたが、明美は母親との生活に満足しており、父親はいないのが当たり前になっていました。
 一方、寺岡という初老の男のことは、幼い頃から時々明美の家を訪れていたため知っていました。穏やかな男で、家に訪ねてくるのは数年に1度でしたが、そのたびに明美のことをとてもかわいがってくれました。
 小春日和のある日、まだ小学生だった明美は、寺岡と並んで爪を切ったことがありました。寺岡の足の爪は大きくて分厚く、明美は自分のちっちゃな爪と見比べては、はしゃぎ立てました。寺岡は、ふと何を思ったか、爪切りで切った自分の足の爪を明美に渡し、「明美ちゃんの爪も、いつか大きくなるよ。そのときに比べてみな。」と言いました。明美は、お気に入りの小瓶に入れて、机の奥にしまい、その後はずっと忘れていました。
 その寺岡が本当の父親だと聞いたのは、寺岡が亡くなった直後。明美は21歳になっていました。母親の話は、次のようなものでした。寺岡は、母親の舞台を見に来た客のひとりで、まもなくふたりは深い関係になり、明美が生まれました。しかし、寺岡は妻子のある身。「今の女房と別れたら、ちゃんとするから」と言って、明美を認知しようとしませんでした。
 母親は、寺岡がすんなり離婚できるとは思っていませんでした。「戸籍上の父親がいない子ではかわいそう」。そう考えた母親が伯母に相談したところ、伯母と懇意で遠方に住む篠田に相談してみるといいました。篠田は「わかった。僕には子どももいないことだし、戸籍を貸すくらい何でも無いよ。」と言い、明美を認知することを承諾しました。その結果、戸籍上は、明美の父は寺岡ではなく篠田となったのでした。
 明美は、寺岡の優しい笑顔を思い出し、あれこそ父親のまなざしだったのだと確信しました。そして、何としても戸籍上の父を篠田から寺岡に変更することを決意しました。まずは篠田に会って真実を話してもらおう。そう思って、明美は弁護士に頼んで篠田を探してもらいましたが、時すでに遅し。実は篠田も寺岡が亡くなる直前に死亡していたことが分かりました。
 戸籍上の父も、本当の父も亡くなっているなかで、明美は、篠田の認知無効と寺岡の死後認知を求めて裁判を起こしました。法律上、このような場合は検察官を相手に裁判をすることになっていますが、寺岡の遺族も裁判に参加してきて、徹底的に争いました。「明美やその母親の言うことなど、信用できない」というのです。
 苦境の明美を救ったのは・・・。そう、明美が机の奥にしまい込んでいた寺岡の足の爪でした。DNA鑑定によって、明美と寺岡との父子関係は99.998%の確率で認められました。お父さんの足の爪が、人生でこんなに決定的な役割を果たすなんて、不思議ですね(東京地方裁判所平成13年2月20日判決。若干脚色をしてあります)。