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台風被害の責任はだれ?

 台湾の東海上で発生した台風13号は、当初、中型で並の勢力にとどまり、九州上陸はないだろうと言われていました。しかし、台風の進路はなかなか予測しにくいもので、台風は急に進路を変え、昭和60年8月31日未明に九州南端の枕崎に上陸。その後、九州を北へ縦断し、死者・行方不明者29名(朝日新聞の集計)という甚大な被害を引き起こしました。建物の屋根が吹き飛ばされ、電柱が多数倒壊した結果、停電は数日間に及びました。上陸時の気圧は955ヘクトパスカル。鹿児島市では最大瞬間風速55.6メートルが観測されましたから、結果的には猛烈な台風だったと言えるでしょう。

 8月31日は土曜日でしたが、久留米市の清掃部に勤めるAさんは、前日に届いた新車に乗って、職場である清掃工場に出勤しました。そして、いくつかある駐車場のうち、旧工場建物のすぐ南側にある駐車場に駐車しました。しかし、実はこの旧工場建物は老朽化が著しく、すでに窓枠や壁の一部が剥がれ落ちたり、煙突の上の方が崩れ、安全上の問題が指摘されていたのでした。

 台風13号のすさまじい風に耐えられるはずもなく、旧工場建物の一部が飛ばされ、よりによって、Aさんの新車を直撃。幸い全損にはなりませんでしたが、修理費用が15万円ほどかかってしまいました。Aさんは市に補償を求めましたが、市は拒否。通常、雇い主である市を訴えるのはなかなか勇気が要ることのようにも思いますが、Aさんは市と法廷で争うことにしました。

 久留米市は、まず「不可抗力」を主張しましたが、裁判所はこれを否定しました。一般に、戦争や動乱、大災害は不可抗力として責任を免れることがありますが、本件では、旧工場建物の危険性は以前から指摘されており、市としては、もっと早く修理なり解体なりをしておくべきでした。

 次に、市は過失相殺を主張しました。Aさんも清掃工場の職員だったため、旧工場建物の危険性は十分わかっていたはず。他に駐車スペースはいくらでもあったのに、あえて旧工場建物のすぐ隣に駐車し、事務室から見ていて風雨の激しさが増したことがわかっても、そのまま放置した。だから、損害の一部はAさん自身が負担すべきだというのです。

 この主張は裁判官の心に響いたらしく、Aさんは損害の6割を負担すべきだとして、4割だけ市に支払わせる判決を言い渡しました(福岡地裁久留米支部平成元年6月29日判決)。判決の当否はともかく、Aさんの悔しさは容易に想像できますね。

 実は、この事件、訴額としては15万円程度の裁判ではありましたが、昭和61年に提訴されて、第1審の判決まで3年前後もかかったようです。その事情は判決文からも定かではありませんが、大荒れの裁判だったのかもしれません。