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登記名義は夫なのに~土地の真の所有者は誰か

「あの土地は亡夫名義で、私が相続したんです。でも、きょうだいたちは亡父の遺産だって言うんです。」
今日の相談者は真由美さんです。なるほど、確かに登記名義が亡くなった夫、満夫さんであれば、土地は満夫さんのものだった可能性が高いといえますが、常にそうではありません。実際、所有権が争われますと、裁判所は登記名義人でない人の所有だと判断することもあります。
真由美さんのケースはどうでしょうか。

話は終戦直後までさかのぼります。真由美さんのお父さん、伊之助さんは樺太で教員をしていましたが、ちょうど陸軍で通訳をしていた満夫さんと知り合い、意気投合します。伊之助さんは、娘の真由美さんの結婚相手にちょうどいいと考え、満夫さんを娘婿に迎え、真由美さんを嫁がせました。昭和24年のことでした。
伊之助さんは札幌市内に教職を得たため同市にとどまりましたが、いずれ定年になったら都内に転居したいと考えていました。一方、満夫さんは都内で教職を得て、真由美さんとともに都内に転居しました。
本件で問題となっている練馬区の土地が購入されたのは昭和27年のことで、初めから満夫さん名義でした。ただ、実際に物件を選び、売主や仲介業者と交渉し、代金を払ったのは伊之助さんで、満夫さんが一部でも関与した形跡はありません。
その後、土地上に住宅が建てられましたが、名義人はやはり満夫さんで、住宅ローンも満夫さん名義で組まれました。もっとも、実際に住宅ローンを払っていたのは伊之助さんでした。
この練馬区の住居には、当初、満夫さん夫婦が居住しましたが、昭和34年頃、退職した伊之助さん夫婦も移り住み、一時は、伊之助さん夫婦、満夫さん夫婦のほか、伊之助さんの子どもたち(真由美さんの弟や妹)が住むようになりました。
高度成長期に入った昭和36年頃、抜け目のない伊之助さんは土地の有効利用を考え、空いているスペースに賃貸アパートを建築しました。こちらは伊之助さん名義で、建築資金を出したのも賃料収入を得たのも伊之助さんでした。
昭和41年に伊之助さんが亡くなったことをきっかけに、満夫さん夫婦は公務員宿舎に転居し、さらに昭和52年には武蔵野市内に自宅を購入して、そちらに住むようになりました。昭和61年には伊之助さんの妻も亡くなり、平成21年には満夫さんも亡くなりました。現在、練馬区の住居に住んでいるのは、真由美さんの弟一家のみです。

ちょっとごちゃごちゃしたかもしれませんが、ポイントは次のとおりです。
① 元々都内に土地を欲しがっていたのは伊之助さんで、土地の選定や売買契約の交渉、代金支払等は、すべて伊之助さんが行い、満夫さんが関与した形跡はない。
② 土地上に住宅があって、それも満夫さん名義だけれど、実際に住宅ローンを返済したのは伊之助さんだった。
③ さらに、伊之助さんは同じ土地上に賃貸アパートも建築したが、こちらは最初から伊之助さん名義だった。
④ (上には触れませんでしたが)土地や住宅の固定資産税も一貫して伊之助さんが払ってきていて、権利証も伊之助さんが保管していた。
⑤ 満夫さん夫婦は、一時、本件住宅に住んだことはあるけれど、昭和41年には住宅を出て、その後は自分たちの家を買ってそちらに住むようになった。

そうなりますと、ほぼ似たケースについて土地は亡夫の遺産であると判断したケースもありますので(東京地方裁判所平成24年9月28日判決)、真由美さんの主張はなかなか苦しいように思われます。ちなみに、東京地方裁判所の裁判例では、どうも戦後しばらくの間は、東京都内の不動産を購入する際に融資を受けるには都内に住所がある方が有利だったらしく、だから遠方に住んでいる亡父ではなく、都内に住んでいる亡夫名義にしたのではないかと推測されたようでした。
登記名義は絶対的なものではなく、便宜的に第三者を名義人にしただけだと証明できれば、実際の所有者は出捐者(しゅつえんしゃ。お金を出した人)だったと認定されることもあると覚えておくとよいでしょう。ただ、安易に名義人を第三者にしてしまいますと、名義人=所有者と認定されるリスクもありますので、ご注意ください。